パーソナルトレーニングで食事制限と筋力トレーニングを受けていて結果が現れてくると、考えてもいなかった「健康」についても考えるようになりました。私は40代の主婦ですが、タバコはストレス発散の一種として吸い続けています。もちろん主人からは無言の圧力をかけられますが、今までは「禁煙」を本気で考えたこともありませんでした。
しかし本気でダイエットを始めるためにパーソナルトレーニングを受け始めたら考え方が変わってきました。
ダイエットの成功が「健康第一」を目覚めさせる
パーソナルトレーニングを受け始めて1ヶ月は食事制限と筋力トレーニングについていくのがやっとなほど疲れ切っていました。これは「我慢」が辛いのではなく動いていて、なおかつ食事を制限しているため「回復」が追いつかないイメージです。
このように人生で初めて「自分を追い込む」ことをしていると世間の見方が変わってきます。食事では「薄味」が当たり前になり、外食では「なんて味が濃いんだろう」と思ってしまうことや、制限をかけていることで食後でも体が軽く生活がしやすいこと。寝付きと寝起きがよく爽快感があり、空腹とはお腹が空になることを思い出させてくれたりと、なんとも言えない感覚があります。
本当はものすごく辛い筋力トレーニングもやった後の爽快感が本当に気持ちよく自ら求めるようになっていることにも気付かされます。
このような感覚をもつと「なんでも挑戦できる」のではないかと感じるようになります。そして、もっと「健康に」、もっと「綺麗に」なろうと目標が変わっていきます。
自分の中でタバコは当たり前だったけど
タバコを吸うようになってからタバコが当たり前でやめることすら考えたこともなかったのですが、自分の「生活習慣」「容姿」が変わってくると、タバコの価値観までもが変わってきました。
もっと上の目標を立てていくと人は「健康」に行き着くのであろうか。
こんなに体調もよく、気分も良く、容姿も変わってきている中でタバコを吸うたびにタバコの味も変わってきました。同じタバコなのになぜか不味く感じるようになってきたのです。そして自分と家族に「罪悪感」まで感じるようになってきました。
それはパーソナルトレーニングで「体のメカニズム」を教えて頂き、「人って奇跡なんだな」と感じていたからなのかもしれません。←単なる私の感想です。
ダイエット中に禁煙を決意!!しかし・・・
パーソナルトレーニングでダイエットに挑戦中だったので「禁煙」をすれば効果が上がるかもしれない。なんて期待を持ちながら禁煙をすることにしました。
しかし待っていたのは「口の寂しさ」でした。
タバコが不味く感じていたので「ニコチンが欲しい」とか「煙をぷかぷかしたい」などの願望はなく、気軽に辞めれると思っていたのですが、とにかく「口が寂しい」のです。
パーソナルトレーニングでは食事制限をしているので「飴」や「ガム」は一定量なら選んで摂取できるものの、それだけではまだ足りず何か口に入れたい欲求が出てきました。しかし目標のために「我慢」をすることに決めなんとかやり遂げていました。
ダイエットで初めての「我慢」が裏目に出てしまった
禁煙で口が寂しく、間食で「カロリーゼロの飴」や「飲料水」「ガム」などをうまく使っていたつもりでしたが、満足できず「我慢」していました。しかしこの「我慢」が食事の量に現れ、「食事の量」と「ストレス」により「消化不良」を起こし始め、便秘になり始めてしまいました。しまいには「肌荒れ」まで起こし始めてしまいました。
当然、体重の変化は止まり微増しました。
これをきっかけにパーソナルトレーナーへ禁煙したことを相談し、禁煙は一気にやらず本数を徐々に減らしていくことにすることに決めました。
すると「ストレス」もなくなり、「カロリーゼロの飴」や「飲料水」にも頼らなくてよくなり、また順調に体重も落ちていくようになりました。
なりよりも「ストレス」が1番の不健康
健康になるために「禁煙」を行いましたが、結果的に自分を追い込みすぎて「ストレス」を発生させる環境を作ってしまいました。ストレスが加わると人は神経系が鈍くなり「内臓器官」の循環が悪くなったりする災厄なことが起きてしまうそうです。
健康に良いことを全てやれば良いのではなく、バランスよく挑戦していくことが大切だと実感しました。
そしてゆっくりとタバコの本数を減らし今では完全な禁煙を達成されると同時にダイエットも成功しています。今の私はま「容姿」も違えば「味覚」「臭覚」「世間の見方」「考え方」など、あらゆることが変わりました。
禁煙はその一部にすぎませんが、「タバコの煙」は自分だけに害をもたらすものではなく、周りの人にも害をもたらします。
パーソナルトレーニングで体の健康を考え、勉強し、自分で実践した今だから言えることはパーソナルトレーニングはダイエットだけではなく体のメカニズムを体験し、本来の健康を考えるチャンスをくれる場でした。